ヘボットの陶酔感の正体
「ヘボット!」が今熱い。子供向けアニメながらコロコロコミックでのコミカライズは早くも打ち切られ、玩具売上がニチアサ枠アニメとしては記録的な爆死を遂げるなど、メインターゲットにそっぽを向かれる一方、一部の層から狂気に満ちた支持を受ける今作。
その魅力とは何か。シリアス考察やパロディネタ解説は先人の事績を参照してもらうとして、ここでは「ヘボットの陶酔感の正体」の考察に絞って論じていく。
「ヘボット!」のあらまし
「ヘボット!」はバンダイとバンナムが共同プロデュースし、メーテレ・テレビ朝日系列の日曜朝に放映されているファミリー向けアニメである。
ネジが島の王子ネジルが相棒のロボット生命体ヘボットと共に、ボキャバトルと呼ばれるライムバトルを通じてネジを獲得するというストーリー。特徴としては、ツッコミ不在のボーボボと形容されるハイテンション・ナンセンスギャグ、ループSF要素のあるシリアスパート、映画・漫画・アニメ・ゲーム・芸能と多岐にわたるパロディ・ネタパートなどがある。
だが何より素晴らしいのは…女の子が可愛い。
ポルノ的陶酔感
始めに結論を述べておくと、「ヘボット!」の陶酔感の正体はポルノ的な消費形態であると提示したい。以下、類縁作品との比較を交えつつ
①女性陣のレベルの高さ
②パロディネタに見える「ヲタク」
③美少女パロディギャグのもたらしたもの
④キャッキャ感
⑤成長なき永遠の自己投影
の5項目をそれぞれ説明していこう。
女性陣のレベルの高さ
可愛い。
「ヘボット!」には数多くの女性キャラが登場する。子供向けアニメという設定ながら、胸の隆起、腰つき、筋肉質な下腿、柔らかな二の腕からの脇…と異常なまでにデザインが凝っている。テレビの前のチビッ子に変な性癖が目覚めること請け合いだ。
エロい=ポルノでは流石に短絡だが、性的魅力を感じさせる女性キャラが出る、というのは重要な要素だ。pixivでも人気上位はエロ絵で溢れている。
パロディネタに見える「ヲタク」
「ヘボット!」のパロディネタは濃い。無論、パロディネタを多用するアニメは過去にもあった。最近で言えば「おそ松さん」の第一話が有名だが、あれはジャンプ漫画始め、見れば誰でも分かるネタばかりだった。
対し、「ヘボット!」のネタは大量・短時間・おまけにマニアックなチョイスばかりだ。アニメで言えば「銀河旋風ブライガー」、漫画で言えば「ねじ式」などチョイスがいちいち古い。映画好きとしては、1話の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の寝相(エンドレス・エイトでも採られた構図)に気付いた時には、思わず膝を打ってしまった。
美少女パロディギャグのもたらしたもの
美少女+マニアックなパロディの組み合わせを、ここではガチオタ美少女との疑似キャッキャ感として定義する。但し飽くまでオタクのネタ話、駄話を模したものであって、関係性を強化するラブコメ=ウフフ感には決して辿り着かないことを注意してほしい。
これまでオタクの出て来る作品は沢山あった。だがオタクであることよりもコミュニケートすることに主眼を置いた作品が多いのではないか。サブカル評論ではゼロ年代後半に増えた作品群を空気系と評した。
岡田斗司夫が「オタクイズデッド」で言ったように「オタクが主でコミュニケーションが従」ではなく「コミュニケートする手段としてオタクになる」新たなオタク(蔑称としてのライトオタク)が登場したのもこの時代だ。
病的なレファレンス癖、仮想敵としての世間・ライトオタクへの事前の反駁、自閉的な一人語りといった旧弊的なオタク観を反映した作品もあるが、ギャグパートとして消化されるに留まり、掛け合いの中での「ガチオタ」ネタ=スベリコミュニケーションとして機能している。
ここまで頑張って読んでくれた人には分かると思うが、クッソキモい文体と無駄な参照列挙に見える通り私はオールドオタクである。ネタの古さも相まって「ヘボット!」における美少女パロディギャグは…とても心地いい。
キャッキャ感
エロ可愛い少女に囲まれて、疑似的なガチオタ談義でキャッキャする空間。天国かよ。だが、その天国空間に変化はない。というのも、「ヘボット!」ではキャラクター間の関係性は深化していかないからだ。
「ヘボット!」内にも好悪の関係性はある。だが進展はない。一貫してネジルを応援する女神ユーコには設定上夫が居るし、土星ババア(=ボキャ美)から猛烈アタックされるヘボットはことあるごとに女体化して性が曖昧になる。
ラブコメにおける女装回は定番だが、「素材は悪くない」という常套句が表すように主人公の中性的な美しさを強調し、改めてヒロインが主人公に惚れ直すイベントとして機能する。ところが「ヘボット!」においては、ヘボ子の姿を見て土星ババア(ボキャ美)がリアクションをするシーンはない。飽くまで抽象的な女体化なのだ。
作中で関係が変わるのはネジルとヘボットの二人だけだが、バディとしての信頼感の構築であり、ネジルとヘボ子の恋愛関係ではない。
「ヘボット!」のエロ絵の存在は先述したが、同人漫画は驚くほど少ない。エロに進展するようなイベントが物語上に存在しない、更に言えば前提となるカップリングを作るのが非常に難しい作品だからだ(人気が無いから…?)。夏コミで「ヘボット!」本増えろ。
成長なき永遠の自己投影
ラブコメにも、終わりは来る。どこにでも居るような一男子(読み手の投影先)だった主人公は、ヒロイン(達)との交流を経て、告白をして人間として成長する。透明だった主人公は、もはや投影出来ない確固たる個へと変貌する。
オタクは成長を断固拒否する、という訳ではない。成長への不安、環境への苦悩が痛いほど胸に迫る作品なら、応援したくなる。投影先でなくなっても、かくあるべき教訓として学びたくなる。
だがその成長譚がいかにもなおざりな作品にはノレない。物語として稚拙で、快楽を追及するポルノ的な楽しみ方しかできない作品に、唐突に差しはさまれるシリアス展開。誰も得しない善さ「げ」な展開には、うっわーシリアス萎えるわーと反応する他ないのだ。
「ヘボット!」における「シリアス」は人間関係の進展、緊張ではない。ループ構造の世界の中で、ネジルの選択がもたらす(した)影響を巡るミステリーだがそれにあたる。
選択を失敗したネジルは、ネジキール卿・ネ人造人間10号としてネジルの前に姿を現す。見方を変えるなら、この世界のこのネジルは決して成長しないことが担保されている。世界の分岐を経た「ネジル」はネジルではなくなるのだ。
ループSFというシリアスな物語展開も楽しみつつ、オタ美少女との永遠の疑似キャッキャ感も味わえる。それが「ヘボット!」の魅力なのだ。