けものフレンズは第二の○○になるのか?
放送開始から数週間経つ頃には”脳が腐る” ”IQが下がる”と各所で絶賛の声が上がった2017冬アニメ、「けものフレンズ」。主「人」公、かばんは当初の目的地である図書館に到着したのだが、そこで物語は転換点を迎えることとなった。
第7話 じゃぱりとしょかん
6話ラストでハシビロコウが告げた、かばんは人だとの言。それに従い図書館を目指す一行は、森の迷路に行き会ってしまう。木の板に書かれた「もんだい」をかばんが読み進め、遂に図書館に到着した。
彼女らの前に現れたのアフリカオオコノハズクとワシミミズク。二人はかばんの正体を教える代わりに、料理を作ることを交換条件に出す。サーバルが爪で食材を切る間、かばんは図書館の本を漁り調理法を読み解く。虫眼鏡で火を起こし喜ぶかばんに対し、フレンズたちは火に恐怖心を示した。料理に満足したコノハズクはかばんに人間であると教える。ヒトは二足動物、高い知能、コミュニケーション能力を持った動物であり、動物がヒト化してフレンズになった、ヒトは絶滅した、ヒトの近くにはセルリアンが集まることを告げた。
チケットを受け取った3人は、コンサート会場に向けて旅を続けるのだった。
ジャンルの転換
物語は転換点を迎えた。アニマルパラダイスから、萎えシリアスディストピアSFへの転換を果たした。
ダンセイニ卿「最初の番犬」のような動物と人の馴れ初めの物語では、もはやない。人類滅亡後に異常進化した動物を描いた作品であればウェルズ「タイムマシン」やブール「猿の惑星」、そして何よりドゥーガルディクソンの「マンアフターマン」「フューチャーイズワイルド」が思い起こされるだろう。
気候変動による大絶滅でなければ、大戦争でも起きたのだろうか。人間世界の愚かしさを動物の視点で風刺したものでいえばスウィフト「ガリバー旅行記/馬の国」やオーウェル「動物牧場」が挙がる。
アニメに話を戻そう。序盤はメルヘンだったのに、途中からシリアスになりジャンルも変化したアニメと言えば?そう、「魔法少女まどかマギカ」だ。
けものフレンズは第二のまどかマギカになるのか?
なりえる。何故ならケモノアニメとしての作りがしっかりしているからだ。……(゚Д゚ )?
トーン・ジャンルの転換を行うということは、後半部分に重きが置かれるのは当然のことではある。だからといって、前半部分を蔑ろにしては駄目なのだ。スイッチによって快感がもたらされるには、落差が必要だ。前半がメルヘンで楽しいからこそ、ズドンと重くなった時に胸を打たれる。設定ギミックを用いた近年のアニメに「がっこうぐらし!」があるが、平和な(偽)日常風景が描かれるのは飽くまで1話のみ。醸成がうまくなされたとはいえず、話題は1話のみで終息していった。
アニメ以外で喩えるなら映画のリベンジムービーやホラージャンルはどうだろうか。これはまどマギの軽→重/快→不快とは反対の流れを持つ。登場人物は序盤、徹底的に苛め抜かれる。殴られ、レイプされ、親友家族が殺され、塗炭の苦しみを味わい抜く。だからこそ、一転攻勢して相手を追いかけ退路を断ってブチ殺すときに、カタルシスが生まれる。そのためには、序盤の手抜かりは禁物だ。
けものフレンズに話を戻そう。詳しいことは上記事を見てほしいが、けものフレンズは
- マイナー動物にまで行き届いたラインナップの豊富さ(バディ役のサーバルがそもそも…)
- 合間にちょこちょこ挟まる飼育員・有識者の蘊蓄(生態についての知識がアニメにも反映されている細かさ)
- ケロロ軍曹でお馴染みの吉崎観音氏のコンセプトデザイン(人間に寄ったデザインでありながら、動物の特徴をうまくつかんだ「着ぐるみ感」)
を備えている。
変化球を持ったアニメは他にもある。やたら説明口調でくだくだしいタイトルだったり、性別が逆転した乱世/異世界に放り込まれてハーレム化するアニメだったりするが、その多くは典拠・元ジャンルを茶化し笑いを取ることに終始する余り、そもそも何故王道が王道として面白いかを意識していない。パロディがオマージュに、そしてオリジナリティにまで昇華されないのだ。
対しけものフレンズはどうか。異体化・擬人化をとってみても、妖怪娘・異人種娘・モンスター娘といった類縁ジャンルとの差別化がきちんと取られている。動物である必然性がある。口では貶しつつ、フレンズ諸兄も内実楽しんでいたのではないか?うぇるかむとぅーようこそじゃーぱりぱーく!今日もどったんばったん大騒ぎ♪とOPが耳について離れないのではないだろうか?
けものフレンズは第二の○○になるのか?
けものフレンズを見ていて気が狂いそうになるのは、3DCGアニメと棒読みというダブルパンチが効いているからだ。3DCGは従来のアニメと違い、プログラムされた3D空間内でキャラクターを動かしている。体の動きは得意な代わりに、セルアニメのような微細な表情表現が難しい。無表情さと、電波台詞の情感のなさ。これはけものっ娘がかわいく戯れる前半だからこそまだ様になった。
だがもし、後半がシリアスになってもこれが続いたらどうなるだろう?真実を知ったかばんちゃんが「エリエリレマサバタクニ」と紅涙を絞るときまで無表情だったら。そこに投げかけられる慰めの声が棒だったら。それはきっと…シュールだ。笑えるほどシュールな筈だ。ジャンル転換のギャップの他に、シュールさというギャップの面白さまで加わるのだとしたら。けものフレンズは神覇権アニメとして記憶に残るに違いない。